第11話 幽霊使いと刀使い
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事務所より電車を乗り継いで都内へ。石蕗が隠れ家としている倉庫は、飲食店が立ち並ぶ歓楽街の中にひっそりと建っていた。 「それじゃ、一旦中に入りましょうか。あんまり居心地は良くないかもしれないけど……」 石蕗はそう呟きながら鍵穴に鍵を差し込んで回し、ガラガラとけたたましい音を立てながらシャッターを持ち上げる。八坂と水都が倉庫の中へと入ったことを確認するとシャッターを下ろし、壁のスイッチを押した。パチパチと音を立てて蛍光灯の薄明かりが点り、小さな木箱と薄い毛布、後は食料品がいくつか置いてあるだけの殺風景な部屋が広がる。 「座布団でもあればよかったんだけどね。取り敢えず適当に座ってください」 3人とも机代わりの木箱を囲んで冷たく硬い床の上に座った。──初冬の寒さの中、1週間もこんな所で過ごすことを強いられている石蕗の苦労とはどれほどの物なのだろうか。 落ち着いたところで、八坂が目線を上げて声を掛けた。 「あの、石蕗さんに聞きたいことがあるんですが」 「なんでしょう?」 「あなたは願いを叶える神様を信じてはいないんですよね。なのに何故、神様について知りたがるんですか」 「……何かおかしいですか?」 目の前から、怪訝さが乗った声が返ってくる。先程の言動から見ても、石蕗は警戒心が強く、自身のことを明かしたがらない人間なのだろう。八坂は石蕗の顔色を伺いつつ話を続ける。 「ただ単にストーカーに遭って困っているだけなら、わざわざ警察に対して神様のことを説明する必要も無いのでは、と思ったんです」 ──八坂の指摘に石蕗は目を僅かに見開く。少し感心したような様子で頷き、彼の疑問に答えた。 「なるほど。八坂さん、あなたに誤魔化しは効かないみたいだ。……確かに私は神様に興味はありません。ですが、存在そのものを信じていない訳ではないんです」 「それなら、『願いを叶える神様』は本当に居ると?」 「ええ。実はあの神様とやらに因縁のある知人の──歳下の女の子がいるんです。私があなたたちに依頼を持ち掛けたのは、彼女の頼みだからなんですよ」 「頼まれた……?」 「あの子は神様のせいで散々な目に遭ってきた。だけどそこで諦めたりはせず、自分の運命に抗いたいと思っている。だから……私は、どうしても知りたい」 神との因縁を持つ人間──人を超えた存在の力によって、その人生を狂わされた人間。そのような者がいること自体にわかに信じ難いが、八坂にとってそのような事はどうでも良かった。──彼は自身の信念に基づいて、更に問い掛ける。目の前の男が、何のために、危険を承知で動いているのかを。 「それは──その子を、助けるためですか」 「はい。何があっても、この手で助けると決めた相手ですから」 全てを聞いた訳では無い。恐らく、まだ彼は八坂たちに対して多くの秘密を残している。しかし八坂にとっては彼が「誰かを助けたい」と思っている、その事実だけで十分だった。 *** 「──外に誰かいる」 会話が途切れ、再び倉庫は静けさに包まれていた。そんな沈黙を破ったのはここに来てから一度も声を発していなかった水都である。会話に夢中だった2人とは違い、ずっと外の様子を伺っていたようだ。 「この辺をさっきからずっとうろついてる」 その「誰か」は単なる通行人ではないのだろう。八坂がシャッターに近づいて耳をそばだてると、確かに近くで話し声のような音が聞こえた。声の主はおそらく男性、2人分だ。八坂は後ろを振り返りなるべく抑えた声で聞く。 「石蕗さん、もしかして」 「……彼ら、でしょうかね」 石蕗に取り乱す様子は無い。事実として、自宅の位置すらあっさりと暴かれているのだ。こんな仮初めの逃げ場所など長く保つはずもないと──最初からこの事態は想定内だったようだ。 「──白ラン、か」 どこか噛みしめるように、男たちの正体に確信を持った呟きが漏れる。それは石蕗がケリをつけなければならない相手だった。 「さて二人とも、これからはどうしましょう」 「え、えっとまず俺が……」 やや狼狽える八坂を制して水都が口を挟む。 「祐吏の魔術は多分目立つから街中じゃ使えない。僕がまずはここを出てすぐ左の路地裏に誘き出します」 「囮、ってことか!?」 いくら水都が滅茶苦茶強いとはいえ、得体の知れない敵相手に対して囮になるなどとてもじゃないが賛成できない。だが水都は八坂の心配など何処吹く風、立ち上がって既に外へ出る体勢になっていた。 「問題ない。これが僕の仕事だから」 「……」 不安ではある、が。まず八坂は戦い慣れていない。自分が先に出ようとは口走ったものの、どうすれば良いかは考えついていなかった。それに対して水都は対人戦闘に長けている。一緒に居た頃の事しか知らないが、当時から喧嘩では負け知らずであり、自分からは決して喧嘩を売らないにも関わらず高校では裏番などと言われて恐れられていた程だ。自分か水都、どちらが先鋒を務めるべきかと問われれば、それはもちろん後者だろう。──だから無言のまま、頷いた。 「では水都さん。この後私たちはどう動けば良いですか?」 「彼らを後ろから挟み撃ちに出来るのが理想的ですね」 「了解しました。ではそのように」 「祐吏は電話繋いどいて。合図するから」 水都は必要最低限の指示だけを2人に飛ばし、入口の手前で腰を下ろしてシャッターに指をかけた。 「……石蕗さん、奥に隠れておきましょう」 ここで見つかっては元も子もない。倉庫のなるべく奥まで移動したあと、八坂は石蕗の前に立って外から見えない位置につき、ポケットから取り出した携帯電話で水都に電話をかける。ワンコールで繋がったことを確認した後、準備完了と手を振った。 「それじゃ、行くから」 水都はシャッターを僅かに押し上げ、その隙間から這い出た。急な明るさに一瞬眩むが気にせず再び立ち上がる。そして目前には予想通り、先程写真で見た白ランの男2人がこちらを見ていた。男たちは出てきたのが石蕗でないことにやや面食らった様子である。水都がその横を素通りしようとしたところで、片方が話しかけてきた。 「おい、そこのお前……奴を何処へやった」 「……」 奴とは間違いなく石蕗の事だろうが、無視。すると男は水都の肩を掴み、声を張り上げてきた。無駄にうるさい。 「この倉庫が奴の隠れ家だという調べはついている! 紫髪で眼鏡をかけた男は何処だ!」 「ああ……彼の居場所は知っているけれど、ここじゃない」 「何? ……教えろ。痛い目に遭いたくないならな」 「……そんなに知りたいなら、力尽くで吐かせれば?」 敢えて挑発するような口調で言い捨て、その場を立ち去ろうとする水都。──案の定男の眉は釣り上がり、今にも爆発しそうなほどの憤怒に満ち溢れた。 「貴様ァ、舐めやがって……! おい佐高! あの黒髪を捕まえるぞ!」 「了解だ。そこのお前、逃がさんからな……!」 ──ここまでは手筈通り。水都はすぐ左の路地に駆け込み、後ろを確認しながら奥へ奥へと進んでいく。この路地は狭いが真っ直ぐな道が続いている。走りながら振り返れば、2人揃って馬鹿正直に後ろから追いかけてくるのが見えた。……これなら挟み撃ちも容易い。携帯電話を耳に当て「祐吏、そろそろ来て」と告げる。彼らのことは十分に誘き寄せた。あとは八坂たちが追いつくまで逃がさなければ良い。 全速力で走り続け、それでもなお追いつけそうにない。それどころかどんどん距離を離されているようにも思える。この路地はそれほど長いのか、単にあの青年が速すぎるだけなのか……。 「クソッ……このままじゃ撒かれるぞ!」 「人継、アレを使おう……あの男から、魔力は感じない……」 「そうか、魔術使いじゃなければアレは止められん! やるぞ佐高!」 意見が合致したところで、佐高と呼ばれた男が胸元から何らかの朱い文様が描かれた白い札を取り出す。 「「まつろわぬ者の残滓よ、我らの僕として現れたまえ!」」 2人の詠唱によって札から魔力が溢れ、凝縮される。そして現れたのは──白い靄のようなモノ。形を持たないソレは有り体に言えば幽霊。そんなものを彼らは喚び出し、操ろうとしている──。 「よし成功だ。……『金縛霊』よ、あの男を拘束しろ!」 「今度こそ奴の居場所を吐かせてやるからな!」 靄は佐高の号令を皮切りに、目にも止まらぬスピードで路地を埋め尽くすように広がり──水都の全身に絡みつく。白い不定形に捕らわれた水都は、抵抗の余地なく地面に崩れ落ちた。 ところで。水都の身体能力はあらゆる面においてずば抜けている。パワー、スピード、そしてスタミナ。その全てがそこらの人間とは比べ物にならないぐらい高い。例えトップアスリートであろうとも彼には及ぶべくもない。 しかし、水都には1つ大きな弱点があった。それは──魔力をあらゆる感覚で感じることが出来ないというもの。故に自分の身体を拘束している存在を見ることも出来なければ、触れることも出来ない。つまり「身体を一切動かせない上にその原因が分からない」という状態である。 いつの間にか佐高と人継が追いついていた。水都は俯いたまま、ピクリとも動かない。 「もう指一本動かせんだろう。観念するんだな」 「魔術使いから逃れられるなどと思うな! さあ言え!」 高らかに勝利宣言を行う2人。数の上でも完全に有利な状況で……故に彼らはすっかり油断していた。眼下の青年が僅かに腕を動かせた所すら見過ごすほどに。 「……詰めが甘い」 その瞬間。目前に閃光が走り──彼らが視力を取り戻した頃には、霊の姿はすっかり消え去っていた。水都は呆気にとられる2人をよそに立ち上がり、刀──サーベルのような見た目だが──を鞘に収める。 「お前……こいつを、斬ったのか!?」 佐高の震えた声の問いに青年は軽く頷く。その顔には一筋の汗も流れず、息が乱れた様子もない。 「何故だ……そもそも『金縛霊』に捕らわれた人間が動ける訳が……」 「ごちゃごちゃ言ってる場合か! 折角ここまで追い詰めたんだ、こいつを力尽くで…………グハッ」 怒鳴りながら飛びかかった人継はその台詞を最後まで言うことすら叶わずアスファルトに倒れ伏した。──刀を振り回すスペースなど無い、狭い路地で水都が選んだ武器は己の脚。回し蹴りが脇腹にクリーンヒットした人継は哀れ、あっさりと気を失ってしまった。 魔術使いですらない人間に霊を斬られ、仲間も倒されすっかり青ざめた佐高に、水都は再び刀の切っ先を軽く突きつける。魔力とはまた違う、碧色の稲妻が走る刀身は否が応でも恐怖を煽る。 「ま、待て……まさか我らを殺……」 もちろん水都にそんなつもりは全く無い。しかし、そう勘違いさせ──そして闘志を呼び起こさせるには十分すぎた。 「──もう1度だ! 金縛霊よ!」 先程破られた霊を再度喚び出そうと、指に札を、今度は2枚挟んで間合いを取る。再び魔力が流れ出し、白い不定形が出現した。 「……まだやる気なんだ」 水都に霊の姿は見えない。魔力の流れなども分からない。故にその声に感情は乗らないまま……しかし彼の口角は僅かに上がっていた。確かな高揚を胸に、刀を構え直す。刀身に纏った碧い光は輝きを増し続けていた。 「捕らえてやる!」 「……斬り捨てる」 既に靄と稲妻が絡み合う距離。まさに一触即発、と思いきや──。 「千明、待たせたな!」 鋭い声に2人の動きが止まった。──水都の目線の先には、冷気を連れた魔術使いの姿があった。 冷気が地面を駆け巡る。制御方法を身につけた八坂の魔術は、決して味方を巻き込むことなく的確にターゲットを捉える。水都の刀と自身の召喚した霊に目を取られていた佐高も、間もなくして意識を取り戻した人継も、突如として繰り出された不可視の魔術に抵抗できる訳がなく──。