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第7話 氷柱の魔術師


 八坂がSDEP日本支部に雇われて1ヶ月ほどが経った。特に事件もなく、「願いを叶える神様」についての続報もなく、八坂はただ魔術の訓練に明け暮れて過ごしていた。  1ヶ月と少し前までは、「魔術が使える」ためだけに人間以下の扱いを受けていたと言うのに、今は魔術使いであるためにむしろ破格の待遇だ。あの心身ともに限界まで追い込まれ続ける生活と、今の生活のどちらが良いかだなんて比べるまでもない、が……。   ある日の夜。水都が部屋に戻ると、八坂がベッドに腰かけて待っていた。そしてこちらに目は合わせず、独り言のように聞く。 「千明、俺ってこんな恵まれた生活を送ってて良いのかな」  こんな風に突然八坂が弱音を吐くのは昔から時々あったことだ。水都は眉一つも動かさず八坂の隣に腰を下ろし、淡々と返す。 「僕に魔術のことはよく分からないから何とも言えない」 「……俺は、まだ何も出来てないのに」 「気にしなくていいだろ、そんなこと。それにもしお前がクビになったとしても僕がいる」 「お前に頼りっぱなしなのも嫌だ」  気は強くないのに頑固で、自身の事など常に二の次と考える幼馴染のことだ、何かあればまた自分の元を離れてしまうだろう。それは、水都にとっては可能な限り避けたいことだった。 「祐吏……僕が頼れって言ってるんだから少しは素直に聞いてくれ」 「……すまん」  僅かに語気を強めた水都に対して、八坂は気まずそうな声だけを残して自室に戻っていった。水都は静かになった部屋でベッドに横たわり、ため息もつかずに目を閉じる。──彼には分かっていた。今の自分に出来るのは、八坂が理想とする”多くの人々を救う”ことへの手助けをするくらいなのだと。 ***  翌朝、いつも通り日本支部へ出社した八坂は、事務所の玄関で桜井の「八坂くん、今日はこれまでの訓練の成果を椿樹くんに見てもらうよ!」という台詞に出迎えられた。 「桜井さん、急に何を……?」  八坂が思わず困惑した目を向けると、桜井はパチリと音が出そうな程のウインクとともにこちらを指さした。 「別に急でもないだろう? そろそろ君にもうちの魔術使いとしての仕事を覚えて欲しいところだし、となると訓練にも区切りをつけないとね」 「それはご最も……ですが、何故七瑛路なんでしょうか」 「八坂くんの魔術は戦闘向きでしょう? でも私は戦闘が得意じゃないし……だから同じく戦闘が得意な椿樹くんと、実践試合でもして判定した方がいいと思ったんだ。……おーい、椿樹くん。こっちおいでー」 「あ、先輩来たんですね? 今行きまーす」  桜井の声に椿樹が応え、応接室の奥からやって来た。どうやら彼女は事前に今日何をするか聞かされていたようで、普段のワンピース姿ではなく短いズボンを履いている。……八坂からしてみれば、七瑛路が戦闘向きの魔術を使うことも初耳なレベルで唐突な話なのだが。 「それじゃあ先輩、今日はよろしくお願いします」 「……おう」 「何ですかその腑抜けた顔! 戦闘なんていつ起こるか分からないんですからしっかりして下さいよ!」  八坂は単に事態を飲み込めていないだけだったのだが、椿樹からすればそれは油断しているのと変わらないらしい。今にも胸ぐらを掴まれそうな勢いで詰め寄ってくる。決して戦いに慣れているわけではないが、とにかくここは立ち向かうしかない。 「こちらこそ、よろしく頼む」 「よし、3人とも揃ったことだし地下に行こう。……水都くんも見ていくかい?」  桜井に声をかけられ、それまで黙って八坂の後ろに立っていた水都が驚いたようにピクリと動いた。日頃警戒心の強い水都がここまでぼんやりしているのは珍しい。しかし、少し遅れて「見ます」と答えた彼はいつもと変わらない無表情だった。 「ルールは時間無制限、どちらかが相手の魔術によって動きを封じられた方が負け……という感じでいこうかな。禁止事項は魔術での直接攻撃ぐらいで。2人ともオッケー?」  SDEP日本支部事務所地下。魔術訓練のためのフィールドに椿樹と八坂が立ち、その端のベンチに桜井と水都が座り観戦の体勢だ。 「時間、無制限なんですか」 「そうだよ。一応勝敗つける形にはしたけどこの試合の目的ってあくまで八坂くんの魔術を見るためのものだからさ、なるべく長くやって欲しいと思って。……2人とも頑張ってねー?」  水都の疑問に対し、朗らかにえげつない答えを返す桜井の表情はいたずら好きな子供のようだ。水都はそんな彼を微妙に呆れた表情で一瞥した後、2人の立つフィールドに視線を向けた。 「それでは始め!」  桜井の号令と同時に動き出したのは椿樹の方だ。5メートルほど距離を置いて立っていたはずが一瞬にして距離を詰められ、八坂は思わず後ずさった。何も教えられていない以上、椿樹がどのような魔術を使いどのような戦い方をするのか、それを自分自身で見極めなければならない。 「さあ先輩、あたしの動き、止められますか!」  ──空気を切る音。風圧を感じた直後、八坂から見て右側よりダンボール箱が飛んできた。咄嗟に身をよじり、左に視線を移すとこれまた凄まじい勢いで壁に叩きつけられ潰れた箱が見えた。混乱の中フィールドを見渡し、大量のダンボール箱が置いてあることに気付いた。椿樹はあれらを使って八坂の動きを封じる作戦のようだ。どうやら彼女は手を触れずに物を高速で飛ばす、いわゆる念動力のような魔術を使うらしい。直接攻撃が禁止されている以上八坂を飛ばすことは出来ないため、代わりにダンボール箱を使う、と。 「いやぁ最初っから飛ばすね椿樹くん!」 「桜井さんは黙っててください!」 「えっ」  椿樹は立ち位置も姿勢も変えず、余裕の表情で桜井の軽口に言い返している。そんな彼女の姿に八坂は冷や汗を流す。魔術使いとはこれ程のことを造作もなくやってのける存在であると、思い知らされる。  あの速度で飛んでくる箱が一度でも直撃などすれば、最早こちらが為す術は無くなる。ほとんどの箱がフィールドの端に置かれていることから、なるべく端に寄らず回避しやすい立ち位置を取る。元々動体視力には自信のある八坂だが、先程の速度が最高とも限らない。それに後ろから飛んでこようものなら避けることは不可能だ。……本来ならば。  だがしかし、氷とは、凍らせることとは──”停止”させることを意味するのだ。かわせなさそうな箱は凍らせてしまえば良い。つまり、防戦の体制は既に整っている。ならば次は攻めに出る方策を考える他にない。  ──勝利条件は魔術を使って相手の動きを封じること。相手への直接攻撃以外で動きを止めるには、障害物を用いれば良いということは先程椿樹が教えてくれたばかりだ。 (なんだ、俺にピッタリの状況じゃないか)  八坂はこの1ヶ月の間に魔力ピュラーを制御し、氷を自在に生み出し操れるほどにまで成長したと確信していた。以前のように、ただ闇雲に辺りを凍りつかせてきた頃とは違う。今ならいける。前を見据えて宣言する。 「七瑛路、次は俺の番だ」 「ええ……受けて立ちますよ」  フィールドに冷気が漂う。準備は整った。一気に椿樹から距離を空ける。その瞬間また空気の流れを感じた。次は後ろから。──距離を取りフィールドの端に寄れば当然箱がぶつかるリスクは増す。だから椿樹はそこから仕掛けてくるだろう、読み通りだ。──八坂の背後からフィールドの端まで、氷の壁が張られていた。音もなく聳え立ったそれは無色透明。一切の汚れが無いガラスのようで、不可視の壁と言っても良いほどだ。──僅かに遅れて数個の箱が壁にぶつかり落ちた。そこで椿樹は、フィールドが壁に仕切られ広さが半分程にまで縮まっていることに気づいた。 「制御、上手くなったみたいですね」  壁を見上げた椿樹の目付きが鋭くなる。そしてこれまでは手加減していたと言わんばかりの猛攻が始まった。速度は目で追えるギリギリ、あまりの速度に壁にぶつかった箱が跳ね返ってきてまた襲い掛かる。だが八坂は箱が飛んでくればその度に壁を張り、椿樹も壁に囲まれない隙をついて攻撃を仕掛ける。──決着がつかないまま、数分後には4畳分ほどのスペースを残し全てが氷の壁で覆い尽くされていた。  両者、息をつく。フィールドの端も氷で塞がれ最早椿樹がダンボール箱を八坂まで飛ばすことは不可能だった。勝利を確信した八坂は最後に、椿樹を囲む壁を造ろうとした……のだが。 「……あたしが、物を飛ばすことしか出来ないと思ってるんですか」  パチン、と指を鳴らす音が響いた。それに紛れて薄らと、だが間違いなく八坂の耳が聞き取ったのは──頭上より起こった、ミシリと何かが軋む音。 「……!」  ──八坂が築いた壁たちがハッキリとヒビ割れ始めていた。内側から破壊されているようで、ヒビは凄まじい速度で増え続けている。無色透明の氷に走った真っ白い線は否が応でも崩壊を予見させた。圧倒的な質量を持った、それも自身の魔術で組み上げたモノが襲いかかってくる恐怖に思わず足が竦む。 「そこに『在る』ものなら、あたしはどうだって出来るんですよ」 「(ああ、追い詰められてたのは俺の方だったか……!)」  絶望的な状況にある頭上を見ないように、既に崩れ始めた氷の破片が地面に刺さる音を意識しないように、打開策を思案する。──冷静さを失っては終わりだ。また力任せに全て凍らせて、それで勝った気になっては何も成長していないのと同じだ。いついかなる時でも正確に制御出来てこその魔術使いだ、そう自分に言い聞かせて。  膝をつき、手を地面に置く。そして、地面に直接魔力を流し込んだ・・・・・・・・・・・・・。地中の水分が瞬時に凍り、魔力によって増幅された冷気が溢れる。いよいよ完全に折れた壁が八坂の元に降り──止まった。地面から突き立った氷の柱が槍のように、落ちてきた氷壁を貫いていた。更に崩れてきた壁を無数の氷柱が正確に仕留めていく。人の力では受け止めきれないほどの大きな塊も数本の柱で地に落ちることを阻まれた。  ──呆気に取られ動けなくなった椿樹を囲むように数本の柱が突き立てられた。八坂は顔を上げ、自身の魔術が椿樹を完全に止めたことを悟った。


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