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第6話 魔術訓練


「八坂くん、君は魔力ピュラーの制御が相当苦手なんだね……」  目の前の光景を眺めて桜井は苦笑いした。SDEP日本支部事務所の地下に設えられた巨大な空間の殆どが、今は大量の氷に埋め尽くされている。八坂が魔術で生み出した氷の塊にはそれぞれの形状に統一感がなかった。おまけに全体的に大きい塊しかない。ピュラー、いわゆる魔術の源となる力を制御する練習のため、桜井は「なるべく同じ大きさ、形になるように作ってみて」と指示したのだが……。 「すみません……今まで魔術をちゃんと使ったことが無かったもので」 「いいや、仕方ない。特に君は一度に使えるピュラーが尋常でなく多いようだし、これで最初から使いこなせたらただの天才だよ」  西洋の子供たちは小学校かそれ以前から魔術の使い方、ひいてはピュラーの制御についても学んでいるという。体育の授業のようなものだ。一方、日本で生まれ育った八坂はそのような訓練を受けたこともなく、窮地に陥った際に半ば暴走と言った形で発動させてきたに過ぎない。そして、それ故に彼の数年間は散々なものであった。 「この力を使いこなせたら……もうあんな目には遭わなくて済むんでしょうか」 「断言は出来ないけれど──君は強くなれるだろう。何と言っても君の潜在能力は相当なものだ。一瞬でこの量の氷を作れるのは並大抵のことではないよ」 「そうなんですか?」 「うん。さっき説明したことのおさらいになるけれど、人が一度に扱えるピュラーの量には個人差がある。出力と言い替えてもいい。何せ出力は鍛えて上げられるものじゃないし、そこだけは個人の才能としか言いようがないから……君は恵まれているよ」  以前、桜井に「君の力に期待している」と言われたのもその点が大きいのだろう。ただでさえ数の少ない日本人の魔術使い、その中で才能に秀でた者がとても希少なのはいくら魔術使いの事情に疎くても分かる。八坂は彼の期待に応えようと改めて決心した。 「君は飲み込みが早そうだし理論や知識の習得よりも訓練の方が大事かな。魔術はやはり実践こそが物を言う。これから当分はそのつもりでね?」 「分かりました!」 「いい返事だね。それじゃ、まずこの氷を何とかしないと……」  桜井が膝をつき、細長い指が氷の一片に触れると──水色の炎が一瞬にして全体に燃え広がり、氷は僅かな水溜まりのみを残して消えた。 「桜井さん、やっぱり凄いですね。一体何を起こしたのか俺にはさっぱり分からないんですが……」 「まあちゃんと説明すると結構ややこしいけど、要はこの氷に残留した八坂くんの魔力に炎を反応させて連鎖的に氷を”融かして”いったんだ。私はこんな小手先の技なら今でも得意でね。君がこないだ氷漬けにした道路もこうやって処理したわけさ」  あの時の氷の量は今消した量とは比べ物にならない程多かったはずだが、彼はさも当然のように言ってのけた。やはり熟練の魔術使いともなると余裕が違うのだろう。 「俺も桜井さんみたいに、落ち着いて魔術を使えるようになりたいです」 「……私みたいに」  目を輝かせて言う八坂に反し──桜井の顔からは表情が抜け落ちていた。 「私は……今の私は出力が低すぎる。魔術使いとしては衰えた存在に過ぎない」 「(あれ……?)」  温度のない、低く暗い声。普段の朗らかさとは似ても似つかない様子。それも何の前触れもなく急に、だ。八坂は思わず桜井の腕を掴み顔を覗き込んだ。しかし──。 「桜井さん……?」  ──八坂が目にしたのは、先程までと変わらない微笑だった。 「いやーごめんごめん。私ってもうおじさんだからさ、出力下がってるし体力もなくて魔術使いとしては大したことないんだよねえ。……それだけの話だよ?」  そう言って念を押す桜井の声には、何かを誤魔化すような震えが僅かに含まれているように思えた。だがその事について問い詰める勇気など八坂にはなかった。 「は、はい」 「……話が逸れちゃったね。次は私が制御のコツを教えるから、その通りにやってみてくれるかい?」  もうすっかりいつも通りの桜井である。あの別人のような振る舞いは一体何だったのか、八坂が疑問に思う暇もなく訓練は再開された──。 *** 「えーと、魔術を使うには大気中の魔力ピュラーを取り込んで出力する必要がある。出力量は魔術使いの才能次第……か。ただ魔術をどれだけ長く使えるかは魔術使いの体力に依存するし、制御に関しては出力関係なしに技量が試されるんだな」  訓練が終わり、八坂は事務所のデスクで今日の復習に勤しんでいた。桜井に教わった魔術の基礎知識と理論をノートにまとめ、読み返す。元々勉強や研究が好きな彼は全く新しい概念を学ぶことに対して意欲的なのである。 「……魔術の制御、難しいな」  桜井は3階の自室に帰ってしまい、2階の事務所には今誰もいない状態だ。目を閉じ、デスクチェアに座ったままくるくると回転する。今日の訓練の成果は彼にとってはまずまずと言ったところだろうか。一度に生成する氷の量を調節することは出来るようになった。  ──おもむろにデスクからコップを取り上げ、指で軽くフチを叩く。するとカランと軽い音を立てて中にいくつかの氷の欠片が落ちた。どの欠片も問題のない大きさである。成功だ。浮かれてさらにチェアを転がして移動していたところ──突然何者かの手で止められた。そして頭上から微妙に不機嫌そうな声が降ってきた。 「何してるんですか? 八坂さん」 「おわっ……!? すみません、あなたは……」  チェアから降りて振り返った先には、金髪を肩ぐらいの長さで切り揃え、六角形の眼鏡をかけたスーツ姿の女性が立っていた。腕を組みこちらを睨みつける姿は相当に威圧感がある。八坂は彼女の正体に心当たりを見つけた。 「もしかして月形さん、ですか」 「ええ、その通りです。私はSDEP日本支部の一般職員を務めています、月形眞弥と申します。……桜井さんあたりから私について何か聞いていたようですね」  一言二言話しただけだが、椿樹たちが話していた「桜井さん的にすごく怖い人」という評はまず間違っていないと八坂は確信した。正直自分にとってもかなり怖いな、と内心で冷や汗を流す。先程の奇行について突っ込まれないよう話題を逸らしてみる。 「はい。あの……月形さんはさっきまでどちらに居られたんですか? 七瑛路たちも見かけないし……」  八坂の質問に月形は張り詰めていた目元をゆるめて答えた。どうやら本気で機嫌が悪かった訳ではなく、単に八坂の奇行に驚いただけだったようだ。 「椿樹がどこに行ったかは分かりませんが、私は桜井さんの代理で警察と打ち合わせをしていました。最近この辺りでは妙な噂が流れているそうで、もしかしたらこっちにも仕事が回ってくるかもしれないとか」 「それって……どんな噂なんですか」 「願いを叶える神様がいる、という噂らしくて。馬鹿馬鹿しいと思いますか? ただその神様とやらを信じて何か事件を起こす輩が何人かいたそうで、警察としては無視できない事態のようです」 「それは確かに何と言うか……馬鹿馬鹿しい、ですね」  ここは魔術を排斥し、神秘を切り捨て、科学によってのし上がってきた国だというのに。強いて言うならば彼らにとっての神様は科学だろうと……これは気味の悪い矛盾だと、魔術使いは思う……。 「八坂さん。今はまだ私たちの仕事ではありませんから、深く考えない方が良いですよ。特に貴方は考え込みすぎると良くないタイプなのではありませんか?」  肩を叩かれ投げかけられた、宥めるような月形の言葉にはっとした。噂の段階でしかない話に対して真剣に考え込むのは、雑念とそう変わりないのだ。 「……そうですね。俺はまだ魔術使いとしても未熟すぎますし、今は訓練のことだけ考えておきます」 「ええ、それがいいでしょう。頑張って下さい。私も貴方には期待していますから」  そう言って月形はデスクに戻り事務仕事を始めた。……雰囲気が鋭すぎるだけで、意外と怖くない人なのではと思った八坂。しかし、数日後に(サボり魔桜井のせいで)その認識はまた改められることを彼はまだ知らない。 「……俺もサボらないようにしないとな」 ***  終業時間の午後5時前になってようやく椿樹と水都が帰ってきた。ふたりの暇な日の仕事は周辺のパトロールなのだそうだ。 「ただいま戻りました。……先輩もお疲れ様です。桜井さんはサボってませんでしたよね?」 「大丈夫、お陰で俺も少しは魔術をちゃんと制御できるようになってきたよ」  桜井はサボりという一点において全く信用されていないようである。今日は八坂の訓練という事もあって珍しく真面目だったのだろう。 「それは良かった。魔術ってただ使うだけではもったいない力ですから、しっかり使いこなせるようになって下さいよね」 「ああ、勿論そのつもりだ。ところで七瑛路、桜井さんに『魔術使いの体力作りについては椿樹くんに聞いてくれ』って言われたんだが……」  魔術と言うと体を張るイメージなど無いかもしれないが、実際は相当に体力を必要とするものだと言う。特に戦闘においては出力以上に体力が重要なのだと。八坂もこの一日の訓練で相当に疲労を感じており、自身の体力の無さを実感していたところだ。椿樹は桜井からの丸投げに怒ることもなく妙に納得した様子で口を開いた。 「まあ桜井さん体力無いですからねー。あたしも魔術の制御なんかは桜井さんに教わってきたんですけど、体力に関しては自分でなんとかしましたから。……オッケーです、ひ弱な先輩のためにあたしの鍛え方を教えてあげますね」 「急にめちゃくちゃディスらないでくれ」 「事実でしょうが。仕方ないんですけどね……でも別に難しいことなんて何もありませんよ? ちゃんと食べてちゃんと寝てちゃんと運動してください。それだけですから」 「それだけなのか!?」  大雑把すぎるアドバイスに面食らう。わざわざ聞けと言われた以上、何か特殊なことをする必要があるのかと身構えていたのだが。 「その当たり前が意外と難しいって分かります? ……はいこれ、昔作ったメニューですよ。これ参考にしてもらったら人並みよりは上ぐらいになれるはずです」 「む、確かにな……」  そうして渡されたのは数十枚の紙が束ねられた冊子だった。適当にページをめくると印刷の上に大量の書き込みがされており、何回も改良を重ねたらしいことが分かる。  「一気にやらなきゃいけないことが増えて大変だとは思います。くれぐれも、焦っちゃダメですからね」 「分かった。……ありがとう、やっぱり七瑛路には助けられてばっかりだよ。あんたが居なけりゃ俺はここに来ることもなかったんだから」 「先輩のこと、放っておけないだけですよ」  照れもせず当然のように言うところが世話焼きな椿樹らしい。大学時代もこんな感じだったなと思い返す。 「本当に昔からお世話になりっぱなしだな、俺……。このメニュー、今日から早速試してみるよ」 「えへへ、そうして下さい! 頑張りましょうね!」 *** 10月30日   忙しい日だった。いつもよりも疲労が溜まっているように思える。そして普段と比べて仕事は溜まっていない。充実した1日を過ごせたと言う感じだろう。今日はもうゆっくり過ごすことにする。   ただ、今日の報告で気になる話を聞いた。ここ最近になって、願いを叶える神様とやらの噂が街に流れているらしい。ただの都市伝説で済む話であればそれ以上のことは無い。故郷ではこの手の話などシャボン玉のように現れては消えを繰り返してきたものだ。その程度で動くとは、私たちと変わらず警察も暇なのだろう。  願いを叶える、だなんてあまりにも有り触れて陳腐な噂話で、決して私の知る「そのような存在」では無いはずだ。何故ならあの存在はもうこの世には無いし、そのことを知っているのも私だけだ。   だがしかし、もしも万が一という事があれば私はそれを無視することが出来ない。私だけではなく、周りの人々も巻き込んでしまう可能性も高い。だからこれは杞憂で終わればいい。もう二度と、あの子の苦しむ顔は見たくないから。


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