第15話 鳥籠の内と外
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──わたし、これからどうなるんだろう。 静まり返った和室の畳に座り、白く古びた天井を眺めながら風峰百羽は思案する。将来──いや、明日すら見えない日々への不安について考えを巡らせる。今は何も、悪いことは起きていない。むしろこれまでの人生の中では最も恵まれた生活を送っているくらいだ。それなのに、このままでも良いとはとても思えなかった。 何も知らないし、分からない。誰も教えてくれない。そんな状態で毎日を無為に過ごさなければならないのか。そう思えば思うほど気分は落ち込んでいくばかりだった。 ──まあ、いいか。また、そのうち分かる日が来るかな……。 ストーブで暖められた空気が眠気を誘う。現状を肯定するかのように、欲求に逆らうこともせず、風峰は意識を手放した。 *** 時は少し遡る。 いつもより少し早く目覚めた風峰は、近頃日課と化した編み物をしながら過ごしていた。暇を持て余した結果、もうすぐ冬がやってくるからと毛糸のセーターを既に何枚も作っていた。 そうしている間に外は日の出を迎える。いつも通りの時間、障子に人の影が映ったのを見て編み物の手を止めた。 「おはようございます。……風峰さん、寒くはありませんか?」 障子が開き、入ってきたのは見知った顔だった。高めの身長に、白い花が刺繍されたエプロンを常に着けている四十歳くらいの女性。名を花菱蛍と言い、風峰に食事などを運んでくるのはいつも彼女である。 「寒い、ですね」 まだ初冬にしてはかなり寒く、今朝は特に着込んでいても芯から冷えるようだった。──ここは風峰の元々居た場所から遠く離れた土地なのだろう。その上、古い屋敷であるため隙間風も容赦なく入ってくる。果たして冬本番はどれほど厳しい寒さになるのか……。 「承知いたしました。朝食の前に、ストーブを持ってきましょう」 風峰が白ランの男たちに捕まったのはもう三ヶ月ほど前のこと。それ以来、屋敷の離れに閉じ込められて──という訳でもなく、むしろ想像していたより随分と丁重に扱われていた。衣食は不足なく与えられ、欲しいものを花菱に伝えれば大抵すぐに手に入った。屋敷の中であれば散策することも許されている。敷地の外に決して出られないことを除いては、ほとんど自由の身と言っても良い。 故に、風峰はこの生活をかなり満喫していた。唯一の趣味である手芸に一日中没頭する日も少なくなかった。しかし、何もしなくていい日々が続くにつれ、自分の置かれた立場に違和感を覚えはじめてもいた。 程なくして、花菱は小さな石油ストーブを抱えて戻ってきた。電源を入れられ温まり始めたストーブに冷えた指先を近付け、この部屋が如何に寒かったか実感する。 「ありがとうございます……暖かいです」 「それは何より。他にもご希望があればお申し付けください」 「いえ、大丈夫です、けど、あの……どうして貴方たちは、わたしにここまでしてくれるのでしょうか?」 「……? 桔梗の指示でそうしているだけですが」 桔梗──この屋敷の主であり、花菱が仕える者。風峰はそう認識していた。これまで数回ほど顔を合わせたが、表情に乏しく何を考えているのかは全く読み取れそうになかった。掛けられた言葉も僅かで、人となりもよく分からないままだった。 「桔梗さんは何のために、わたしをここに連れて来させたんですか」 「それは……私が答えて良いことではありません」 「……わたしは、これからどうなるんですか」 思わず重ねた問い掛けに、花菱は目を逸らす。答えたくないのか、答えられないのか。ただ、あまり良い未来は待ち受けていないかもしれないと、彼女の顔が物語っているようだった。 「…………すみません。朝食にしましょうか」 *** 花菱は風峰に食事を届けた後、渡り廊下を進んで母屋へと向かった。この屋敷は都心より少し離れた山中に位置しており、近くに他の住民は既に居らず、人目に付くこともない。周辺の道路状況も良くないため、仮に徒歩で抜け出そうと思ってもそれなりの時間と危険を伴うだろう。 屋敷の敷地はそこまで広くはなく、一、二分ほど歩けば母屋に辿り着く。一番奥の部屋の前で一言声をかけたが、返事は無かった。いつもの事である。花菱は気にせず障子を開け放し部屋に入った。 ──その部屋は客人である風峰の居室よりも生活感が無かった。床と言う床、殆どのスペースに本が積み上げられており、家具はその中に何とか収められた椅子が一つあるのみ。そこで読書に没頭する和装の男──彼が桔梗と言う、〈教団〉の創設者であり、花菱が長く仕えてきた主だった。 障子を開ける音は聞こえていただろうに、部屋の主は本に目を落としたまま全く反応しようともしない。これもいつもの事だ。傍に立ち肩を叩いたところで、ようやく微かに声を発した。 「何かな」 「風峰さんのことで……少し気になることが」 先程の風峰とのやり取りを伝えると、桔梗は開いていた本を閉じようやく花菱の方に顔を向けた。銀縁眼鏡の奥に覗く琥珀色の眼はその色に反して酷く冷ややかで、その顔には何の感情も浮かんでいない。 「そうか。聞く限り随分と大人しかったから、そんなことを言い出すとは思っていなかったが」 「……ずっと、混乱していたのでしょうね」 突然見知らぬ人間に連れ去られ、見知らぬ地に囚われた者が果たしてすぐ冷静になれるのか。答えは否だろう。風峰は数ヶ月の時間を経て、ようやく現状に疑問を持てる状態になったとも言える。 「今の段階であまり詮索されると不味い。いっそのこと魔術で思考と感情の一部を封じても良いのだが……」 「…………」 「……何、やらないよ。というか出来ない。私にも人の感情の機微が分からない自覚くらいはある」 分かれば出来るのか、という疑問は飲み込んだ。魔術には疎い花菱でも、彼の技量なら出来てしまうのだろうという確信があったから。 しかし風峰はただの一般人であり、自分たちの都合で巻き込んでいる以上、そのような無体を働くことは到底許容出来ない。花菱は敢えて強めの口調で釘を刺した。 「出来るとしても、絶対にやめて下さいよ」 「分かっている。彼女は我々の計画に欠かせない存在だから……最後まで危害を加えないようにしなければ」 きっと真意はズレている。花菱が風峰に罪悪感と憐れみを抱いているのに対して、桔梗は彼女を計画を完遂するためのパーツの一つとしか捉えていない。──それでも方針は一致している。あくまで穏便に、あくまで彼女には危険の及ばない形で、教団の目的を達成させるべきだと。 「それにしても……快適な生活を与えておけば、そんな疑問も抱かないと思っていたのだが。見通しが甘かったか」 「彼女は見たところごく普通の若者ですよ、あなたとは違って。理由も分からない厚遇を不審に思うのは当然かと」 「……成程」 花菱の言葉を聞き僅かに眉を寄せる。彼は幼い頃から身の回りの世話は全て花菱に──即ち、実の親などではなくその使用人から受けてきた。少々特殊な環境で育ったが故に、一般人である風峰の感覚を想像出来ていなかったのだろう。 ──桔梗は数分ほど考え込んだ後、ゆっくりと言葉を絞り出した。 「いずれは全て話さなければならないだろうが、今はまだ駄目だ。……彼女に、一旦あなたの仕事を手伝わせてはどうかな」 「手伝い、ですか?」 「暇を持て余し続けるよりは良いと思ったんだが。ついでに話し相手にでもなってやればいい。余計なことを考える時間も減るはずだ」 つまり、風峰の暇潰しをさせてやれと。それで本当に彼女の気が逸れてくれるかは分からないが、悪い方に行くことは無さそうな提案だった。 「承知しました。風峰さんに出来そうな範囲で手伝って貰います」 桔梗は返事に軽く頷くと、再び本を開き視線を落とした。その様子を見て花菱は床に積み上げられた大量の本と書き散らかされたノートを棚へ仕舞っていく。教団の目的である「願いを叶える神様」の復活のため日夜文献を読み漁り整理整頓など全くしない主の代わりに片付けをするのも日課のひとつであった。 三十分ほどして片付けが概ね済んだ頃。唐突に声がかかった。 「蛍さん、髪を結ってくれないかな。少し外に出ようと思う」 「……仕方ありませんね」 彼の真っ直ぐな茶髪は無造作に束ねられているだけで、花菱にとっては少々気に食わない見目だ。仕方ないとは言ったものの、最初からそのつもりだったかのようにポケットから櫛を取り出した。 慣れた手つきで髪を梳き、顔の左側で三つ編みにし、後ろ髪はきっちりと結び直す。ものの数分でいつも通りの姿が出来上がった。この少々面倒なヘアスタイルはかつて花菱の思い付きで生まれたものだが、何故か気に入られている。そして自分でセット出来ない訳ではないはずだが、時々こうして要求してくるのだった。 「ありがとう。やはりあなたにやってもらうのが一番良い」 「何ですか急に……」 今日は朝から冷え込みが厳しく、廊下に出た途端肌を刺すような冷気に襲われた。風峰の話でも全く変わらなかった桔梗の表情が僅かに歪み、寒いと呟く。部屋に居た時から厚手の羽織を着込んでいたのだが、この寒さは余程堪えるようで、青白い顔に少し火照りの色が差していた。 「まさかとは思うが、雪は降らないだろうね」 「まああの場所ほどでは無いでしょうが、真冬になれば積もると聞いています。山の中ですから……」 「はぁ……嫌だな。雪なんてもう見たくもないんだが。今更だけどもう少し良い場所は無かったのか…………」 心底嫌そうに言い捨て目線を庭に向けた途端、白い欠片が舞い始めていることに気付いた。まだ積もりはしないだろうが、間違いなくここには厳しい冬が近付いている。──桔梗が昔から寒がりなのも、雪を嫌う理由も、花菱は知っている。故に悪態は聞き流し先を促した。相当な出不精である彼がわざわざ外に出るあたり何か用事があるだろうに、こんな場所で凍えているのも馬鹿馬鹿しかった。 「そう、調べなければならないことがある。昨日あたりからこの屋敷の周りの魔力が……」 言葉が途切れたのは、廊下の奥から屋敷の空気に似つかぬ騒がしい足音が響いてきたからだ。間もなくして足音の主は桔梗たちの目の前で立ち止まった。小走りでやってきたようで、軽く息を整えた後こちらに向き直る。 ──白ランの上に黒いマントを纏った赤毛の青年。精悍な顔立ちと鍛えられた体格の持ち主で、銀の眼は鋭く、桔梗を真っ直ぐに見据えていた。 「珍しいな。おまえがわざわざここに来るのは」 「俺だって来たくて来た訳じゃない」 青年は睨むような視線のまま、手に持っていた携帯電話を桔梗に突き出した。その画面には英語らしき言語で長々とした文章が表示されている。 「調査班の佐高と人継が、石蕗という男から回収した情報だ。あんたが探してるのはこういう物なんだよな?」 「第四圏からの情報か。確かに何らかの手掛かりにはなりそうだが……」 第四圏の情報は絶対だと言う。「世界の真理が記されている」などという胡散臭い噂を耳にしたこともある。そんな重要なものを、調査班──この教団に幾つか存在する組み分けの一つで、「願いを叶える神様」を復活させるための手立てを探す役目を持つ班である──のメンバーが入手してきたと言う。とんだお手柄だが、桔梗は何の感慨も無さげに画面に目をやった。読書をしている時より遥かにつまらなさそうな様子のまま、文章をスクロールしていく。 そうして一通り読み込んだ後──彼の手の中で、端末がバラバラに砕け散り、煙が上がっていた。目を丸くする青年と花菱の前で、桔梗は何故か僅かに口角を釣り上げる。 「罠だ。もうこの場所はバレたと言っていい。──追っ手が、我々の計画を止めに来る」
