第10話 依頼人(下)
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午前11時。呼び鈴の音が事務所に響く。 月形に案内され応接室に現れたのは紫がかった灰色の髪に群青色の目を持つ青年だった。オフィスカジュアルに身を包み眼鏡をかけた容姿からは若手経営者のような印象を受ける。ただ、よく見ると衣服は少しよれており、目元には隈が出来ている。あまり余裕のある状態ではないようだ。 「ようこそお越しくださいました、石蕗さん。どうぞおかけになって下さい」 「では遠慮なく、失礼します」 テーブルを挟んで桜井の向かい側に石蕗が座り、ビジネスバッグを足元に置いて姿勢を正した。 「石蕗三知也と申します。よろしくお願いします」 「私はSDEP日本支部長の桜井織臣です。こちらはうちの魔術使いの……八坂祐吏くんと七瑛路椿樹くん」 「よ、よろしくお願いします」 緊張で声が硬くなるのを自身でも感じる八坂。石蕗は2人に会釈し正面に向き直った。 「では……早速ですが、私が今回依頼したい件について説明させて頂きますね」 話の発端は3ヶ月ほど前、私が何人かの男に乱暴されていた若い女性を助けたところまで遡ります。ここまでは単なる偶然でしょう。私は女性──カザミネ、と名乗っていました──を家まで送り届けようとしたのですが、帰る家が無いと言うのです。 とはいえ放っておく訳にもいきません。何処か安全そうなところにまで送っていこうとして──そこで、件の人たちに出会いました。2人組の若い男性で、どちらも全く同じ白ランを着ていたのが印象に残っています。彼らはカザミネさんが居ると気付くや否や私を突き飛ばし彼女を連れて行こうとしました。最初は止めようとしたんですが、片方が物凄く素早い人で……気がついた時にはもう連れ去られていました。 ……あと、残った方はそこで初めて私の顔を見たんだと思います。唐突に血相を変えて腕を掴んできました。「願いを叶える神様を呼び戻すためにはお前の魔術が必要だ、我々に協力しろ」なんていきなり言ったんです。驚きましたよ。願いを叶える神様、という都市伝説自体は私も知っています。ですがそんなモノは信じていませんので、お断りしました。そもそも私ごときの魔術で神様をどうこうできる訳がありませんから。 しかし彼らはそこで諦められなかったようですね。次の日もまた次の日も、私が行く先々に現れては協力を迫ってきました。勿論断り続けてきたんですが、1週間ほど前には自宅まで押しかけてきましてね。もう帰るに帰れなくて今は知人の管理する倉庫で寝泊まりさせて貰っている始末です。現時点では見つかっていませんが、まあ時間の問題だと思います。これ以上は私だけの問題では済まされなさそうですし。 そこで、あなた方にお願いしたいのです。彼らが私を狙う理由を調べ、今後私に近づかないようにして欲しい。そして可能であればカザミネさんのことを助け出して欲しい……どうぞよろしくお願い致します。 スラスラと読み上げるような調子で語られた内容は、「願いを叶える神様」という単語の存在を除けば一般人に聞かせても違和感がないものだ。 「それ、普通に警察案件じゃないですか?」 ……少し間をおいて椿樹が投げかけた疑問は、おそらくこの場にいる全員が思ったことだろう。だが彼女の問いに石蕗は眉を下げて否定する。 「警察にはもちろん相談しました。でも願いを叶える神様や魔術使いの話を出した途端に『お引き取り願います』なんて言われてしまってね……」 「あれ……? 桜井さん、警察も願いを叶える神様については調査してましたよね」 「うんそうだよ。まあウチと同じく特に進展は無かったみたいだけど」 これまで警察が動いていた理由は、信奉者が起こす事件による市民への被害を防ぐことだったという。にも関わらず急に市民の訴えを突っ撥ねるようになるとは妙な話だ。困惑する皆を尻目に、石蕗は眼鏡を軽く押さえ話の続きを切り出した。 「流石にそこで黙って帰れるほど私も余裕がありませんのでね、何とか食い下がってみました。そしたらひとつだけ教えてもらえたことがあるんですが……」 言葉を切る。他言無用とでも言われたのか一瞬迷うような素振りを見せ、しかし再び口を開いた。 「警察は既にこの件から手を引いていたそうです。これは私個人の所感ですが、担当者の口ぶりからして諦めたというよりは諦めさせられたような気がしますね」 ──今後ますます被害者が増えるであろうこの事件から、よりにもよってまず警察が不介入を決めた。普通では考えられない話だ。不祥事と言っても過言では無い。 「……もしかして、警察は何者かに圧力を掛けられているんじゃないでしょうか」 ここまで殆ど会話に参加していなかった八坂が低く抑えた声を発した。全員の目線が彼に集う。八坂は苦い記憶を噛み締めて言葉を紡いだ。 「俺には少し……心当たりがあります」 3年前、八坂は身を守るためとは言え街中で魔術を使った咎で警察に捕らえられた。取り調べを行った刑事は八坂に同情的で、このような状況では正当防衛が認められると言ってくれていた。しかし突如担当の刑事は外され、八坂は別の──恐らくは公に出来ないような組織のもとへ送られた。その後の処遇は言うまでもない。 「なるほど。有り得そうな話ですね。しかし警視庁に圧力を掛けられる存在なんて……桜井さん、あなたはどう思われますか?」 「今まで警察と仕事上何度も関わってきましたけど、彼らが事件究明を途中で投げ出して人々を蔑ろにすることは無いと言い切れます。……これは異常事態だね」 半信半疑といった様相の石蕗を、桜井は普段よりも真剣な眼差しで見据える。八坂の意見を尊重し、また警察の働きを信じているからこその力強さを感じる言葉。実際、日本の警察は魔術に対するノウハウこそ持ち合わせていないが、それでも一般人よりは理解のある者が多い。この決定に裏があるのは明白である、と桜井は結論づけたのだ。 「石蕗さん。この依頼、お受けしましょう。我々SDEP日本支部が必ず『願いを叶える神様』について突き止めてみせます。そして貴方と──カザミネさんの身の安全もお約束します」 この事件に隠された”裏”も合わせて、自分たちで解き明かす必要があるだろう。そう桜井は判断したのだ。 「……そうですか。本当にありがとうございます」 これにて石蕗からの話は一段落ついた。桜井は席から立ち上がり、八坂にとっての初仕事を言い渡した。 「それじゃ、八坂くんと水都くんは石蕗さんのボディガードをよろしく。件の2人なりカザミネさんなり、何かあったら連絡してね」 「分かりました。精一杯頑張ります……!」 拳を握りしめ意気込み十分な八坂。……桜井曰く、この時の八坂が今までで一番いい顔をしていたという。石蕗はそんな八坂を微笑を浮かべて見ていた。 「私と椿樹くんは警察に話を聞きに行こう。眞弥さんはお留守番ね」 「了解です。椿樹、桜井さんをちゃんと連れていきなさいね」 「オッケーです! じゃあ早速行きますよ、桜井さん」 ……月形に釘を刺され、椿樹に腕を引っ張られながら桜井は珍しく呆れ顔で呟いた。 「いや、流石に今回はサボらないからね?」