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第2話 新たな居場所(上)


 男は、一応目立たないようにと工場からの抜け道へ先導し、八坂はただ男の背中を追って歩いていく。改めて見ると、男はとても日本人離れした容姿──具体的に言うならば、かつて雑誌で見た海外モデルのようだった。身長自体は八坂より少し高い程度でしかない。しかし姿勢の良さと脚の長さが段違いだった。顔の左横でまとめた銀髪が歩調に合わせて揺れ、やや西に傾き始めた日光に透けて輝いている。全体的に薄い色素からして、西洋の血が入っているのだろうか。  薄暗い通りを抜ける直前になって、男は唐突に振り向いた。それまでの静けさを打ち消して、先程よりも更に朗らかな声で喋り出す。 「私の名は桜井サクライ織臣シキオミ。SDEPの日本支部で所長をしているんだ……と言っても知らないか」 「……はい。初めて聞きました」 「詳しい説明は後にするけど、まあ簡単に言えば”魔術及び魔術使いを管理する組織”だよ。私が主にやっているのは、君のような子に居場所と仕事を与えることなんだ」  日本において魔術使いに立場がないという事は意外と有名な話らしい。だからこそ桜井のような、魔術使いを助けることを生業とする人間がいるのだろう。それでも疑問は尽きない。例えば……。 「桜井さん、は何故俺のことを知っていたんですか」 「君の知り合いが私の部下にいてね。彼女から3年前の事件について聞いた時から、私は八坂くんを探していたよ」  「知り合い……」   魔術に縁のある知人なんて居ただろうか、と八坂は自身の記憶を手繰ろうとしたが──新たな疑問に思考を使える時間はそう長くなかった。目的地を通り過ぎようとしてしまっていたらしく、桜井に呼び止められた。  そこは工場地帯の外れ、ビルやアパートが建ち並ぶ通り。桜井は乱立するビルの一つを指さした。入り口には立派な「SDEP日本支部 事務所」と書かれた表札が掲げられている。SDEP日本支部所長・桜井織臣は少し大袈裟に腕を広げて──新しい魔術使いを歓迎した。 「ようこそ、八坂くん。ここが私たちの……日本の魔術使いにとって最後の砦だよ」 「……桜井さん」 「どうかしたかい?」 「あの……本当にここが事務所、なんですか?」  八坂が驚いたのには無理もない。少々大袈裟に紹介されたその建物は、表札こそ立派なもののどう見ても築40年は経っているであろうボロボロのビルだ。周囲の建物よりも更に低い3階建てであり、「日本支部」などという大層な名前の割にはとてもこぢんまりとしている。 「そうだよ? 見た目がちょっと古臭いだけだから心配しないで!」  ちょっとどころじゃないだろ、と眉をひそめる八坂と対照的に、桜井はニッコリと笑いながら事務所の扉を開けた。「ただいまー」と言う声は、職場にというよりは家に帰ってきたかのような調子だ。八坂は恐る恐る事務所の中に入り──奥に見えた姿に頓狂な声を上げて飛び退いた。 「しっ、七瑛路シチエイジ!?」  八坂が見た先には、茶色のふわふわとした髪を後ろで結び赤いワンピースを着た金眼の女性が、これまた目を丸くして立っていた。彼女は間違いなく、八坂の大学時代の後輩・七瑛路シチエイジ椿樹ツバキだ。魔術使いだったのか、と八坂がそんな風に考える間もなく椿樹は彼の元に詰め寄ってきた。その表情は再会を喜んでいるというよりも、何かに怒っているように見えた。 「……八坂先輩! あなた、今まで何処に居たんですか!?」 「え、えっと……それは……」  突然の大声にたじろぐ八坂にも容赦なく、椿樹は畳み掛ける。強気な目が彼を射抜いている。 「いきなり居なくなって3年間ずっと連絡がつかないってどういう事なんですか……!」  彼女が怒るのもごもっともだろう。口振りからして、椿樹は八坂を相当に心配していたようだが。あまりの剣幕に何も言い返せない八坂に代わって、桜井が宥めるように椿樹の肩に手を置いた。どうやら彼女の扱いには慣れているようだ。 「まあまあ椿樹くん落ち着いて。彼を連れてくるの、大変だったんだからね」 「でも……!」 「聞きたいことが沢山あるのは私も同じだよ。とりあえず、お茶でも飲んで話でもしようか……」  事務所一階の奥にある応接室に八坂は通された。ソファに腰かけ、手前のキッチンで紅茶を淹れる桜井の姿を横目に今日の出来事を整理しようと試みる。  ──まず、何故魔術を使わざるを得ない状況に陥ったのか。最初は駅前で見知らぬ男に絡まれたのがきっかけだった。男がナイフを持っていたこともあり逃げようとしたが追いつかれ、あと少しで組み敷かれそうになったとき──男の身体は凍り付いていた。運の悪いことに駅前には人が多く、たちまち大騒ぎに。  八坂に出来たのはただ逃げることだけ。前に進む度に体感温度は下がり周囲が氷で覆われていくことに気付いても、それを止めることは出来なかった。……もし桜井に見つけられていなかったら、今頃どうなっていたのだろうか。  ──カタンという音とともに思考が現実に引き戻される。テーブルに陶器の皿を置いた椿樹は、まだ少し不機嫌そうだった。 「先輩、クッキーありますよ。よかったら食べてください」 「ありがとう。……美味しいな、もしかして手作り?」  サックリとした、素朴な甘みのクッキーだ。形がまばらでまだ温かいことから八坂は手作りだと推測したのだが……対して椿樹は表情をさらに苦々しいものに変えて答えた。 「所長がさっき作ってたんですよ。仕事サボってね」 「そ、そうか」  もしかして不機嫌の理由は八坂よりも桜井にあったのだろうか。いま出来たての状態にあるということは、恐らく作りかけのものを桜井が放置して出ていったのだろう。 「七瑛路も大変なんだな……」 「まあ日常茶飯事ですけどね。先輩の方が余程酷い目に遭ってきてるんでしょ?」  先程とは比べ物にならないぐらいの小さな声で呟き、椿樹は八坂の向かい側に座った。……ムスッとした表情を見ているととても居た堪れない気分になる。 「……心配かけてごめんな」 「良いんですよ。あたしも、日本で魔術を使った人がどうなるかぐらい分かってるつもりですから……」  事実、この3年の間八坂には自由も余裕も無かった。魔術によって生じた損害すべての責任を取らされ、借金漬けかつ債権者に監視を受ける生活を送っていた。日本の法律に魔術への扱いを定めたものは無く、日本に魔術使いも存在しないと見なされている。故に魔術使いが魔術によって起こした事件など──法に則って裁くこと自体が不可能だったのだ。  ところで。椿樹は魔術使いについて知っているようだが、大学時代は魔術が使えるという素振りを一切見せていなかった。実際に魔術使いなのかと問うと、彼女は軽く頷いた。快活な顔に僅かな憂いが混じっている。 「ええ……詳しく説明すると長くなるんですけど、あたしって魔術使いの一族の生まれなんですよね」  ──東北出身の魔術使いである椿樹は、上京と同時にSDEP日本支部の存在を知り、桜井と出会い、それ以来日本支部に雇われているという。大学生の時点で既に魔術使いとしての立場を得ていたという──。 「先輩が魔術使いだって分かったとき、桜井さんならあなたを助けてあげられると思ったんです、だから……」 「……ずっと探してたのか、俺のこと」  桜井が八坂を知っていたことにも納得だ。彼が言った知り合いとは椿樹のことだったのだ。 「はい。……結局、居場所も連絡先も分からなくて諦めてたんですけど」  椿樹は、ただの先輩を助けるために色々頑張ってくれていた。自分を助けるメリットなんか何も無いはずなのに。──気がついた時には頭が下がっていた。 「ちょ、ちょっとやめてくださいよ!? あたし何も出来てないんですからね!?」 「それでも、あんたは俺のために……その、本当にありがとう」 「もう何を言ってるんですか……お世話になってた先輩なんです、これぐらい当たり前ですよ」  頭を上げた八坂が見たのは椿樹の少し呆れたような表情。その隣にはいつの間にか桜井が座っていた。テーブルには3人分の紅茶が乗せられ、緊張をほぐされるような良い香りが漂っている。 「そうだよ八坂くん。君が椿樹くんの知り合いだったから、私も久々に頑張ったんだよ?」 「桜井さんは普段から頑張って欲しいです」 「えー? 私は肝心なときに動けるように力を温存してるんだけどな」 「だからって仕事をサボるのはやめろって言ってるんですよ! もう眞弥まやさんに言いつけますから!」 「それだけはやめて!?」  ドヤ顔で胸を張る桜井に、椿樹は先程よりもさらに呆れた顔で突き刺す。この漫才じみたやり取りが続けばおそらく永遠に話が進まない……。そう判断した八坂は恐る恐る口を挟んだ。 「あの、桜井さん」 「ん? ……ああ、ごめんね。じゃあそろそろこの組織についての説明を始めようか。私は最初から君を雇うつもりでいるけれど、最終的には八坂くん自身で判断して欲しい」 「……分かりました」  八坂が姿勢を正すと、桜井も先程までのヘラヘラした調子から一転し真剣な表情を浮かべた。 「まず、SDEPというのは──Special Department of Entire Policeの略称だ。これはロンドンに本部を置く警察組織のことでね。魔術使いの管理とか魔術事件の調査とか、魔術に関することは大体なんでもやってるんだ」 「欧州では一般人でも皆知っている組織らしいです。各国どころか各地方に支部があるぐらいですし」 「そうそう。何せあちらは人口の9割以上が魔術を使える、魔術社会だからねえ」  ──魔術社会。日本とは真逆の社会が、海と陸を越えた先には広がっているのか。海外との関わりが薄くなった現代日本に生まれ、極度に遮断された情報でしか世界を知らなかった。それでもにわかには信じがたい。八坂のそんな思いを感じ取ったのか、桜井は眉を下げて笑った。 「残念ながら、先進国の中でここまで魔術使いを排斥している国は日本ぐらいなのさ。私たちSDEP日本支部がひっそり活動しているのも、この国で魔術組織が目立つと不味いからなんだよね」 「事務所がこんな古いビルでこんなところにあるの、別にお金が無いからってわけじゃないんです……」  八坂が今まで受けてきた扱いは、彼が日本に住んでいなければ起こり得なかった。その事実に目が眩むような衝撃を受ける。だが今更どうなる事でもないと思い直し、それ以上に一つ、椿樹の発言に疑問を抱いた。 「金があるということは、本部からも日本は重要視されているということなのでしょうか」 「そうだね、良い質問だよ。……日本では魔術が受け入れられていない。つまりこの国は魔術使いや魔術品がまだ沢山埋もれている、貴重な宝の山だと本部は考えているんだ。彼らが考える日本支部の役割は、そういった”宝”を世界に役立てさせるための”発掘”なのだろうね……」  そう答えた桜井の語調には、「納得がいかない」という思いが滲んでいた。 「……私が自身に課した役割は、居場所のない魔術使いに居場所を与えること。そしてゆくゆくはこの国で魔術が使える人みんなが日の目を見れるぐらいまでこの組織を拡大したいんだ」  八坂はずっと、居場所を失っていた。それはこの国の人々が魔術を嫌っているから。だが外を見れば魔術が「当たり前」に存在するという。ならば魔術そのものは悪ではなく、ただ人々がボタンを掛け違えているだけの話なのだろう。桜井の意思は、誰かを助けたいという願いの現れに思えた。  ──この組織についていけば、きっと誰かを救えるはず。 「俺は、魔術に対する誤解を解きたいです。これ以上魔術使いだからって理由だけで苦しむ人が増えないように。桜井さん、これからよろしくお願いします」 「ありがとう、八坂くん。今日から君はSDEP日本支部の職員だ。……期待しているよ!」  思わず笑顔がこぼれ落ち、八坂は桜井の手を握る。桜井は彼に目線だけを返し微笑んだ。  その直後。後ろでガチャリと音を立てて玄関が開き、振り向いた八坂は驚愕に目を見開く。そこに立っていたのは──。


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